自然と共に ──
3000m級の山々に囲まれた、
岐阜県の飛騨高山市というところで
父方は商人、母方は寺の家系の
次男坊として産まれました。
兄が勤勉で優秀だったので、僕はしっかり悪ガキをしてたんですが、それでも半分は寺の家系の血が流れているせいか、雪深く信仰心の強い土地柄も影響してか、
感性が過敏で神経質なところがあり、
父からは甘やかされ、兄からは守られ
母もいつだって優しい顔をしていたけれど、
今思えば、かなり扱いづらい子供だったと思います。
自分がそんなにも家族の愛情に守られていたアマちゃんだとは思わず、高校卒業後は意気揚々とアメリカへ飛び出し、
アジア人として味わう理不尽な劣等感に憤り
ネイティブアメリカンの教えに救われ、
その頃から自然と人との関係に意識を向けるようになり、
劣等感への反骨からか
日本人だからこそ活きる生業を極めようと、
気づけば20年以上無心に治療家の道を進んできました。
僕が学生だった頃はまだまだ昔の風習の残っている業界で、昼は学生夜は治療院で下働きの仕事で、
感謝されるどころか怒鳴られたりもする毎日で、
仕事帰りに銀座の裏道で
自分の進むべき道が正しかったのかと、
何度この道を捨てようと思ったかしれません。
けれど、子供の頃は神経質だった感覚が、
治療家としてはむしろ良い方に働き
経験を積めば積むだけ感覚が磨かれ、
こんな僕でも感謝されることが多くなり
若僧ながら、年長者の方にまで
健康に関することはもちろん、
さまざまな相談をされるような身になりました。
経験値の高い年長者の方に
僕が丸腰で向き合っても
何一つ敵うものは無いので
僕は僕なりの精一杯の力を出すために
出来るだけ多くの感覚を、日々磨いています。
そんな中でも特に僕が好きで大切にしているのが、
その土地に古くから伝わる文化や
今なおそれを紡ぐ民族との時間と空間です。
悠久の歴史の中で息づく習慣には、
必然の理由があるのに
なぜか現代社会ではおざなりになってしまっている
そんなことに少し目を向けるだけで、
それまでは
不便で貧しい生活をしていると思っていた人々が
僕よりもずっと充足した毎日を生きているんだと知る。
彼らの無駄のない体躯と
驚くほどキラキラした目を見ると
「本当に大切なこと」
を忘れていたと気付かせてくれます。
僕たちはいま 地球という星の上で
大地と太陽からもらったエネルギーを力に
生かされている
そんな当たり前の事実に立ち返るだけで
僕たちはもっと
健やかで幸せに生きやすくなることを
アンデスの長老や
チベットの若者が僕に教えてくれたように
僕を頼ってくれる一人でも多くの人が
より良い毎日を送れるように手助けすることが
僕に科された使命なのだと忘れぬように、、、
今日もサウナで整ってきます!
(ネイティブアメリカン直伝のしきたりを真似て)
一般社団法人 五宮会
代表. 阪本 敏宣